専門分野では負けないと建設工事に必死で喰らいつき、会社へ帰って夜な夜な勉強したのを覚えています。
エンジニアリンググループ グループマネージャー
中西 康徳
エンジニアリンググループ グループマネージャー
中西 康徳
電気計装工事全般の営業、見積作成、原設計書の作成、工程管理、年間予算作成・売上状況確認など
現在も作業へ出ています。実際作業もしつつ・現場でのアドバイスも。
富岡雨水ポンプ場電気工事 工事期間 約1年 当時24歳
建築電気工事の現場代理人として現場に出ましたが、当時建築業界では20代前半は子供扱いされ、全く相手にしてもらえませんでした。
専門分野(電気工事)では負けないと建築工事に必死で喰らい付き、会社へ帰って夜な夜な勉強したのを覚えています。
その努力のおかげか、竣工間近には『電気屋さーん』と呼んでもらえるようになり、電気に関係する部分について相談を受けるなど、頼ってもらえるようになって清々しく思えたのを記憶しています。
富岡雨水ポンプ場は今も大雨時には重要ポンプ場として稼動しています。
決して忘れられない機場の一つです。
GFは、事業の幅がとても広い会社です。
同じ事務所に居ながら、他部署の仕事内容は業種が全く違います。
日頃関わることがない部署の仕事を知った時 同じ社員でありながらその内容やレベルの高さに驚きを感じます。
具体的に説明するのは難しいのですが…、弊社の工場へ来て頂ければ分かると思います。
是非。
チームワークについて
2006年頃、吉野川を堺に北方面・南方面に分かれて公共工事をしていました。
南方面は私が担当していましたが、ある年は南方面での工事が多く、大型のポンプ場の新築電気工事をしながら他の小物件を複数掛け持ちしている状態で、昼食を取る間もなく仕事に追われる毎日でした。
ある時、材料の不足に気付きましたがどうしても現場を離れる事が出来ず、当時北方面の担当だった同僚に材料を持って来て欲しいと頼みました。現場へ戻り仕事をしていると、材料を持って来てくれた同僚が、材料と共にパンを持って立っていました。
昼食を食べていないことは知らなかったはずですが、彼は『どうせ何も食べてないんでしょ!これでも食べない』と言って渡してくれた。
材料が何だったか、今となっては覚えていないのに、そのパンの味だけは今だに忘れられず、胸が熱くなったのを覚えています。
また、別の現場では、どうしても結線作業が終わらず、別の現場から同僚に手伝いに来てもらい、2人でようやく作業が終わったのは明け方4時頃。
次の日は通常どおり現場に行くのにも関わらず、愚痴一つ言わず手伝ってくれた事も今だ忘れられない思い出の1つです。
今でも感謝している現場です。
今では現場に出る機会が減ってきましたが、若手社員たちを見ていると、担当の枠を超えて助け合いながら日々頑張っています。
同じ社員同士、担当や部署に関係なく助け合ってひとつの仕事を成し遂げようとする姿勢が受け継がれているのかなと思います。
歴代工事部長より引き継いだ水道関連工事を継続する事
現在の水道施設は高度経済成長期に初代工事部長が始めた事業で、当時藤崎電機で手掛けた多くの水道施設が今、老朽化による更新の時期を迎えています。
老朽化した施設を改修又は現在のシステムに更新して行く事が1つのプロジェクトであり、中央監視システムも同様に最新のものに更新し終わる頃、次の世代へこの事業を引き継いでいけたらと思っています。
エンジニアリンググループ グループマネージャー
中西 康徳
専門分野では負けないと建設工事に必死で喰らいつき、会社へ帰って夜な夜な勉強したのを覚えています。
エンジニアリンググループ グループマネージャー
中西 康徳
実は一番印象に残っているのは、幅広く数多くのプロジェクトを経験できたことかもしれません。
取締役
東北プロジェクト、エンジニアリンググループ担当
近藤 雅也
日本の技術力に感嘆されるような仕事をしたいと思います。
建設グループ グループマネージャー
濵﨑 貴弘
全員で必勝ハチマキを締め、決起大会を開き、社員全員がバケツを手に展示会の集客に奔走しました。
太陽光プロモートグループ グループマネージャー
島田 剛
これからも部署や部門の垣根を越えて挑戦を続けていきたいと思います。
太陽光プロモートグループ シニアエキスパート
黒川 憲一郎
会社の中で他業種間で協力しあえる環境がある。これは藤崎電機グループの強みであり、おもしろい部分だと思います。
ITデジタル推進グループ グループマネージャー
阿部 優樹
設計時に想定していた動作通りに、実際の機器の動作するのを目にしたときの感動は設計者冥利につきます。
エンジニアリンググループ 技師
瀬川 陽一
社員自身が楽しめる環境を自ら作っていけるところがGFなんだと思います。
設計グループ
鴻上 朝香