50周年に向けて(4)

2021.11.12

山路来て 続編 (その4) 「太陽光発電事業(PV)」

25周年を前にして、辰己新社屋建設、橘湾建設工事、MMSD事業展開と3つのことが重なっていました。

4月に私が入社し、先ずは辰己新社屋建設を担当することになり、その際、新社屋コンセプトを「人と地球にやさしい技術で社会に貢献する」と定めました。
私から当時の役員メンバーに相談し、コンセプトに基づいた温暖化抑止に寄与できる自然エネルギー発電事業の開始を提案。先ずは新社屋で実際に太陽光発電(PV)・風力発電機(風力)を設置し、その事業性を確かめることになったのです。NEDO及び県の補助制度を利用させていただき、本社入口に5KWの風車2基、本社屋屋上に容量10KWのPVを設置し、当時、四国で前例がなかったPV・風力事業を開始しました。

PV設備については当時補助金がありましたが、家庭用でも300万円~400万円と非常に高価で一般的でなかったため、シャープ様と提携し、一般家庭向け販売のノウハウを合宿して受講、また、工場で販売キャンペーンを行い、社員の皆様はもとより、ご家族、そして、協力会社をはじめとする多くの方に御協力頂きながら根気強く販売を続けました。しかし、年間の販売は20軒程度で採算ベースをなかなか上回ることが出来ませんでした。

そんな中、強力なセールスレディーが入社、藤崎 裕子さんです。ファウンダーの紹介もあり人づてで少しずつ輪を広げ、年間1億円の受注を実現させたのです。一方で産業用はファウンダーの努力で、阿南高専・鳴門教育大学を始めとする教育機関や大塚テクノ様、市役所、京セラ・シャープ様等の紹介案件で確実に実績を上げていき、特に産業向けでは、徳島で一番の評価をいただけるようになっていきました。
また、シャープ様の依頼に応じて関西圏での一般家庭向け施工を開始。大阪南港に事務所兼倉庫を構え、濵崎さん、佐々木さん、東根さん達で、年間百数十件の施工を請け負い、貴重な経験を積むことができましたが、一軒当たりの利益が少ない割に、施工後の雨漏り等の不具合が多発し結果的には 3年後に撤退することになりました。

2008年頃からエコスクール政策が始まり、日本全国の小中学校に太陽光発電設備の設置が進められました。弊社も徳島県を始め四国全域で施工を請け負い、徳島県内で24校、四国全体では27校の施工を実施。結果として太陽光発電の事業はやっと日の目を見ることになるのです。

2010年にはヨーロッパで推進されていたFIT(固定価格買取制度)制度の導入が計画されていました。そして、2010年10月取締役会で発電事業者ガイアパワーの設立計画を説明し、承認されたのです。FIT法成立が確実になった2011年10月を設立の時期としました。

ガイアパワー設立後すぐに県庁で設立記者会見を実施。自然エネルギー発電事業に特化した会社として「100年後の子供たちに青い地球を」をコンセプトに、全国そして将来的には東南アジアでPV・風力事業を展開し、早期に株式上場するという計画を発表。設立時は私、陶久さん、平岡さん、池内さんの4人でのスタートでした。1990年 MITでスターマン博士より地球温暖化等で21世紀中ごろに成長の限界が訪れることを聞いてから10年後に藤崎電機でPV事業を始め、20年余りでガイアパワーを設立し、自然エネルギー発電事業を始めることが出来ました。
さらに10年が経ち、多くの社員、お客様、パートナー企業のお陰で今日のGFに成長することが出来ました。

30年前に夢見た「技術者として人類の危機的状況を回避することをしたい」。その夢に向かって一歩ずつ前進してきました。
これからはさらにその歩みを進め、マクロな意味での持続可能社会への貢献、そして、ミクロな意味での社員の物心両面の幸せと地域社会への貢献に向け「強い思いで自ら進む」を実践してまいりましょう。

代表取締役 藤崎耕治