阪神淡路大震災・東日本大震災とBCP(事業継続プラン)

2020.02.03

1995年1月17日早朝5時46分、阪神淡路大震災は発生しました。

当時、私は長野県北部でトンネル工事に従事しておりました。ちょうど前日、家内が長女出産のために長野市から阿南市に帰郷したばかりでした。一日遅れていたら、大変なことになっていたとつくづく思います。約半月後、長女の誕生に合わせ、松本空港から飛行機を乗り継いで伊丹空港に着いたときに、空港の壁や照明など多くの箇所が破損したままの状態であるのを目にし、地震被害の凄まじさを改めて感じました。

皆様もご存知の通り、阪神淡路大震災が発生して25年が経過しました。6434人の尊い命が奪われ、家屋等への被害についても、全半壊合計249,180棟、全焼7,036棟と想像を絶するものでありました。

阪神淡路大震災は、あまり想定していなかった直下型の地震でした。日本の安全神話が大きく崩れた震災であったといえるのではないでしょうか。高層ビル、高速道路など「高度の技術で作られたものは安全である」という安全神話が崩れ、災害に対する備えについて大きく見直す契機になったと思います。

一方、東日本大震災は2011年3月11日14時46分宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル (km)(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24 km)を震源として発生しました。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震だったのです。

震災による死者・行方不明者は1万8428人(2019年12月10日時点)、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4893戸が公式に確認されています。また、震災発生直後において避難者は約47万人、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上等の数値が報告されています。

この地震で初めて我々は津波の大きな被害を目撃しました。10mを超える津波が、街や建物を飲み込む映像に衝撃を受けたのです。さらに、この津波は福島第一原子力発電所を襲い、原子力発電所の冷却装置を破壊しました。その結果、発電所炉心内の温度が急激に上昇し、水素爆発が発生、福島県を中心とした広いエリアに放射能汚染を招いたのです。9年後の現在に至っても多くのエリアが立ち入り禁止であり、未だに3万人以上が避難生活を余儀なくされています。

我々はこの二つの震災で多くを学びました。日本はどこでも地震が発生しうる、また、日本の安全神話、高速道路、原子力発電所などもこの地震被害に対して十分に安全とは言えない。我々の考えを大きく超える想定外の災害や被害が発生し得る。我々は、いつ発生するかわからない地震をはじめとする災害にさらされており、そのための備えをすることが、唯一被害を最小にすることである。

GF本社が立地する阿南市辰己町は標高3mであり、津波被害が想定されますが、幸い那賀川の堤防が想定される津波の高さまで嵩上げされ、また、周りを日亜化学工業株式会社様の高い工場が囲んでいることもあり、津波による甚大な被害は少ないと考えられます。しかし、那賀川と桑野川に挟まれた中州に位置しているため、震度6以上の地震発生時には液状化の危険性が高いと思われます。想定外のことも発生するという学びに基づけば、そのような事態を防ぐためには、次にあげる選択肢があると考えています。

  1. 地震が発生しても津波や液状化被害の少ないところに移転する。
  2. 現在の場所で液状化対策等を行い、地震保険も含めBCP(事業継続プラン)の観点から最小限の被害に食い留める。

GFのミッションである「社員一人一人の物心両面の幸せを実現する」観点から、皆様の命を守り、安定した事業の継続のためにも、今期中に方針を決め、早期に対策を行ってまいります。


1/14から始まった本社屋の地盤調査の様子

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